桜絵論 佐藤宗太郎

序論 「桜絵」について

「S H I N Z O」 ー このアルファベット 六文字 が「桜絵」を意味するようになる。
もちろん 石川進造氏描くところの「桜の絵」 のことであ る。彼の描いた「桜絵」が画家・石川進造自身をこえる。
いずれそうなる! ・・・そのことを この「桜 絵」 の評論を通じてアッピールしたいのである。

本来的に「絵画」は「画家個人」から離れ、絵画作品としてのそれ自体の「人格」をもってしまう。彫刻も写真も音楽も文学もみな同じ。作者人物と作品は別個の「人格」をもつ。

絵を描く事も ー つまり「画家」とても、生活者個人の一部でしか無いのだから、「作品」は生活者個人から遠く離れ、「ひとり歩き」してしまう。それが宿命である。

わたくしたちは、天才作家・有名作家の評論・評伝・自伝や噂などを通じて、その人物像個人に関心をもつ。 わたくしたちは実際にかなり多くの芸術作家を知っている。人によってその差は大きいだろうが、その作家人物個人をどの程度まで知っているだろうか?その数も内容も微々たるものであろう。
石川氏は画家としてまだ「無名」にちかい。しかしその 絵は「有名」になるはずである。

「この絵は石川進造という人が描いたもので、 ここに Shinzoとサインがあるでしょう」
「この桜の絵はいい絵です。とくにこの作品は 非常にいい! たいへん優れた芸術なんですよ!!・・・」

石川氏は 本格的に絵を描き始めて10年になる。

第1回個展(2004) 「石川進造展 ー 旅のスケッチ万華鏡」

初めて彼の絵を見た。 それ以前20~30年もの長い付合いだったが、絵を描き始めていたとは知らなかった。ちょっとびっくりした。

筆者が 以前(90年代)に 絵を描いてるのを知っていたはずなので「びっくりさせてや ろう!? ・・・」としたのか。

「ペンと水彩」の絵を見た。
「ヘェー」とか「フゥー ン」とか「ずいぶん描いたもんだね」などとしか言 えなかった。

彼いわく 「先達を乗越えることは絶対に出来ないが、その壁を突きやぶることは、あるいは可能かもしれな い!」と・・・ペンと水彩画の指導者永沢先生のことだったのか?

「その意気や良し! 」・・・としました。

第3回個展(2005) 「旅のケッチ万華鏡(Ⅲ)」ー「インド・北西砂漠の街を訪ねて」

この旅については いろいろエピソードがある。

「ラージャースタン州のブルーシティ(ジョードプール)とピンクシティ(ジャイプール)を 描き たい。ガイド頼むよ・・・」

以前 彼をまじえて友人数人と インドの旅をしたことがある。そのときは まだ絵をやってなかったが、ブルーシティが印象深かったのだろう。

「ならば ゴールデンシティ(ジャイサルメール)を入れれば!?・・・」ということで一ヶ月の旅がスタートしたのである。

筆者は30年ほど、インド全域の遺跡の調査撮影 をやっており、ラージャースタンには足しげく通っていた。
進造氏の描きたい「ところ」がおうよそ解ったので、それぞれで「絵になりそうなポイント」をガイドした。

ジャイサルメールは 黄褐色砂岩の街。全ての家が空き間、隙間なく造られ 街全体が朝日夕日の「いっとき」金色に輝くことがある。
シティパレスの高台に いいポイントが見つかった。

  • No.138No.138

スケッチせずに 全紙で描き始める。鉛筆で おうよその構図をきめ 画面片側から「ペン」で どんどん 描く。かなりのスピー ド・・・

筆者は初めて 彼の描き方を見た。「ペン描 き」は一発 勝負 「シマッタ!」と思ってもやり直しがきかない。 一種の「いさぎよさ」 それがペン画のいいところかも?

彼の描くやり方を ビデオに克明に撮る。(あとで三都 市の絵を3卷のビデオにして石川氏にプレゼント)

エピソードはつぎに始まった。

ほぼ眼下の街全体を描き上げて 遠くのほうに「白い川」のようなモノが見える。「あれは何だ?」

「あそこは鉄道のターミナル駅で 線路に長 く白く見えるモノは 何だかね? あそこには 川はない!」

「でも あの白いモノを確かめたい!  あそこに行きたいんだ!」

「でもね! 前に来たときは あんなモノは無かったし いつ無くなるかわからない! 川ならば この古い歴史的なジャイサルメール風景画として必要かもしれないが?・・・」

「だいいち! あの白い帯のような モノは「絵」 そのものにとって必要なのかどうかな?・・」

結局 街におりてオートリキシャで駅に行った。
その日は 列車が来ないので 人っこひとりいない駅。
白いモノ は線路脇の石灰石だった。どこからか長い貨物列車で 線路脇に延々 と下ろされ どこかで使う物資だった。遠くからは白い川には見えたが・・・

「風景画」 ー 古い街や遺跡を描く場合 「時間 (時代)」を「いつどこに」設定するのか!? かなり 重要な作画要因である、と筆者は考えている。

現実の 風景を「いま」見てるわけだが、実際には かつての「古代」に「現代」が入り込んだり 押しのけたりしている (その逆も)。そうした例は枚挙にいとまが 無い。

最近 (3年前)ジャイサルメールに行って来 た。 線路の石灰はなかった。

ただし、遺跡近くに発電用の巨大風車が どんどん立ち 始めている。

「遺跡」をテーマにすれば「風車」はいらない。邪魔だ。
「風車」がテーマなら ー 「最近のインドは 砂漠地帯の風を利用して電力 供給」の図を描くのなら「遺跡」は添え物、無くともいい。
この土地 の現在の有り様を描くなら「遺跡」と「風車」の両立がテー マとなる。

「ブルーシティ(ジョードプール)」 岩山の上の フォート(城塞)から 眼下の広大な都市を描 く。

この都市の旧市街の建物は砂岩の壁を、うすい青白のぺンキで塗り、 壁の 上端ぐるりを青ペンキで塗ってある。白と青のコントラスト 統一の妙。 なかなかきれいな街である。遠望がいい。
城塞の壁と、その周りや眼下に飛び交う「とび」のむこうに、大きな街をやや小さく描く。ここには余分なものなく よく仕上がっている。とくに構図がいい!

  • No.139No.139

ジョードプールでは 砂漠の音楽師「ボパ」たちも描 いた。
遺跡の前で「踊り娘」のダンス姿を 描かせようと考えたが ちよっと無理。No.141 座った 人物画になった。

彼は初めての人物画だったようだが バックの木彫り衝立ての模様や 踊り娘のサリーの柄を 克明に描く。
眼にはいるものは 全部描く ー 彼のやりかたが見える。

  • No.141No.141

「ピンクシティ(ジャイプール)」 赤褐色砂岩の街。
旧市街の建物は全てピンク・・・といっ ても 日本の赤レンガのピンクがかった色である。赤褐色砂岩と別の材料の建物は「それ」に似せて彩色してある。

ここでは 有名な「風の宮殿」を描く。
出窓のある小部屋が横一列に連なり、五層のファサード(正面)を 見せる。出窓は風を入れるため・・・

この宮殿建築は 奥行きがほとんどない。小部屋の奥は廊下などが少々つくだけーーいわばファ サードだけの建築で、「ファサード」だけが 「絵」になる。

これを描いても絵葉書写真をこえられない。

そこで宮殿最上階の狭い屋上に登った。建物の裏側や街が俯瞰できる。これは「絵」になる。

ジャイサルメール・ジョードプール と併せて「俯瞰図三部作」になる。

  • No.140No.140

ここでちょっとアドバイス?  ー 小部屋や廊 下 に出入りする「サリー姿」の女性を入れたら どうか?
彼女らはあちこち移動する。スケッチ するいとまはない。写真を撮っておき あとで画面の然るべき位置に挿入すればいい。ラー ジャースタンの女性はインドで一番派手なサリー を着る。効果的な点景になるはずと・・・

(ちなみに ーー インドの古い絵画技法の一つに、「時間ずらし」がある。ひとつの場面に、人物などが次々に登場してくるとき、その場面ごとに重複的に、時間をずらして、ひとつの画面に入れる。この絵(No.140 )は、そのやり方をほんの ちょっと拝借。宮殿に サリーの女達がいっぱい来て いるように見えるでしょう!?)

「仕事」がおわって ホテルで夕食後 彼はまた 「仕事」 ー カメラ→パソコンを使って、サリ ーの女たちを画面 に入れるべく おそくまで 「仕事」をしていた。

それまでも 毎晩のようだった!? 

デリーに戻って またも 例のエビソード二つ。

オールドデリーのジャーマ・マスジット。 デリー最大のムスク(イスラム寺院)での こと・・・

ムスク東門の横町を描く。

  • No.154No.154

オールドデリーで名だたる「ゴチャゴチャ通り」人も車も ひしめき合う。電線もいっぱい。すぐ上には鳥のむれ ー トビ・カラ ス・ハトなどが 飛び交う。

「あの 向こうの建物の屋根に並んでとまっているは 白バトだろうか? ・・・この単眼鏡では、このカメラでも はっきり よくわから ない!? ・・・あんたの望遠カメラでカクニ ンしてね!」

「あれは 白バトですよ! ・・・うぅーん でも??」 (ちょっと言いかけたが やめてしまつた!

ーーひしめきあう人・車の真上に飛び交う鳥たちーーとくに 鳶は迫力がある。あんなむこうの 見えるか見えないような「もの」 は、 白カラスで も白バトでも 描きたければ「チョンチョン!」と白点を並べれば済む。
「メィンテーマ(主題性)」から極々遠いのだから ー  つまり あんなもんどっちでもいいのだ!・・・)

ジャーマ・マスジット本体を描く。うまいことに「横町」から後ろを向けば「本体」の図。

  • No.148No.148

建物をまともに描くことに 苦慮していた。垂 直・水 平・奥行がむずかしいと・・・

広場には(画面にはないが) イスラム教徒(ムスリム)が三々五々 礼拝におとずれる。この広場に「もの日」には 10000人ものムスリムが集い マッカに向かって一斉に礼拝する。

「あの 寺院内部で 腹這いになってる人を 撮っておいてね!」

「あれは ムスリムの礼拝のやりかたで、世界中どこにいてもマッカの方角に向かって日に数回礼拝する。タイヘン重要なテーマだ! 出来ることなら近くに行って撮りたいものだ! それを大きく、ちゃんとした絵画することはタイヘン意味のあること・・・小さくしか描けなくとも しっかり描きこんで おいてね!!」

インド以降 ヨーロッパ・アジア諸国「旅のスケッチ万華鏡」がつづく。

第4回個展で発表。それらの作品は全部見 たし、ときおり描きかけ中のものも見た。桜絵をふくめて彼のほとんどの作品を見ることになる。

出来のいいものも そうでもないものもある。
おしなべて 括ってしまえば「主題性」の把握が弱い! 曖昧である!

「雰囲気」を感じさせる作品も けっこう多いが それらは「雰囲気」で終わっている。

はっきり言ってしまえば 画面に「観光客」を 入れた作品も ちらほらするが 「なぜ? 観光客の姿が必要なのか??」・・・  もっと悪気に言ってしまえば、彼は諸国を観光旅行して「記念写真?」をバチバチとった。写真が絵になっただけなのか??

そうではあるまい!

彼の作品を見て かなり多くの人が「たいへん 結構なご趣味をもって・・・」と讃える。

「経営者として見事な業績をあげ 勲章ももらい さらにこうしたプロそこのけの絵を悠々とお描きになる・・・私には芸術はわからないが 素晴しい人生ですね!!・・・」

そうした礼讃を 彼は何十回 何百回聴いたことだろう。

筆者に何度も語った 「凄みのある絵を描きたい! 巧く上手に描くことは出来ないだろうが、絵に凄みをだせるようにはなる!! それは趣味では不可能な事だ!!」 さらに言う 「これは死に到るやまいなんだね!?・・・」

多くの人が「趣味」としか受けとらない事 ーー 自分の絵が その程度に「とどまっている」ことを 彼は冷静に理解している。
その「事実」を理解しているからこそ 忸怩たる思いーー やりきれぬ思いが 心中をめぐる 何度も何度も・・・

「主題性」の確実な把握こそが「趣味の世界」を乗越える方法だ とするのが筆者の考え!

「凄み」は あまり感じられないが「観光客」の いない絵に 「対象(モティーフ)」に向かいあう「感覚」が よみとれる作品もある。

収穫祭シリーズ に 楽しく  おもしろい作が多 い。

何を描こうとしたのか「解る」ーー 画面が整理され「主題」が明瞭になっている。あとは その主題の「内容」を示すだけ。 No.191などは 一種の風景画として充分みられる。

  • No.191No.191

そして「桜」にとどく。(序論 おわり)